日々彷徨
興味を引かれるものにふらふらと吸い寄せられながらウン十年。 過去と現在に出会った物を記録しようじゃないか。 海外ミステリの話が多くなると思うんだけど予断は許さない。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「負けるが勝ち」の生き残り戦略 -なぜ自分のことばかり考えるやつは滅びるか
地球上の生物が自らが不利な状況に追い込まれるような、一見不可解な行動をとることがあるが、実はそれこそ「個」ではなく「種」として生き残るための戦略である。



「負けるが勝ち」の生き残り
戦略―なぜ自分のことばかり
考えるやつは滅びるか
  • 著:泰中啓一
  • 出版社:KKベストセラーズ
  • 定価:714円
livedoor BOOKS
書誌データ / 書評を書く



「負けるが勝ち」の生き残り戦略―
なぜ自分のことばかり考えるやつは滅びるか

泰中啓一
KKベストセラーズ(2006)

[bk1で詳細を見る]
[amazonで詳細を見る]







この本は地球上の生態系が地球環境からもたらされる必然であるということを再認識させてくれる。つまり、今この世界に住まう全ての生き物は生き残る理由があって存在しており、生き物自体も環境の一部である。従ってある生き物に大きな影響を与えるということは環境自体が変化することに他ならず、当然環境が変化すれば他の生き物も影響を受ける。

そのことを考えれば、長い目で見て生存競争と呼ばれるものに勝者がいないというのは明らかであろう。食べるものと食べられるものがいるときに、食べるものが圧倒的な力と数を手に入れたら、あっという間に食べつくしてしまい、その後に来るのは自らの死のみである。つまりこの地球上に生きるものは自分のことだけを考えていては生き延びることはできない。もっといえば自分のことだけではなくバランスをとることができるものだけが生き残っている。

著者はこの当たり前ではあるが、短期的な勝ち負けに目がくらんでなかなかわかっていても気づこうとしない真実をいくつもの例をあげながら説明していく。

昔からゲーム理論の中のいくつかの例題で、社会、すなわち一人だけではなく皆で生きていく世界においては一人だけが勝っても世の中はよくならず、むしろ勝った本人も含めて長い目で見ると不幸になるというものがある。この正直さとかストイックさとかが要求される戦略が実に多くの生物がとっている戦略であり、短期的には不利になる一見不可解なこの戦略が長期的な繁栄には如何に重要かということに気づかされる。

このような論調を展開していると、ともすると愛国心という名の下に自己犠牲を強いる論調になりがちであるが、そのような感情的なアジテーションに走ることなく、しかしさらっと自己中心主義が如何に自然な摂理に反して長続きしないかを説く語り口に共感を覚える。昨今、に限らないが、愛国心を声高に叫ぶ人の多くは同じ種の一員としてよりよい世界を目指すのではなく、同じ種の自己犠牲を喰らって自分だけが太る捕食者である場合が多い。

ところでこの本の最初の一文、「情けは人のためならず」というのがこの本のテーマを端的に表しているわけだが、この慣用句、結構誤解している人が多い。「情けをかけてしまうと、その人は甘えてしまうので、結局その人のためにならない、だから情けはかけないほうが良い」と思っている人が多い。偉そうに言っているが私もそうであった。だがこれでは訳がわからない。実際には「情けをかけるというのは、その人のためだけになるのではなく、回りまわって自分の利益に繋がるので、自分のためと思ってどんどん人に情けをかけましょう」というのが本来の意味。あまり誤用とかにうるさく言うのは好きではないし、どんどん誤用して言葉を乱していけばいいと思うのだが、本来の意味を知っていながら崩していくほうが奥行きも出ようというもの。

どうも硬い文章になってしまったが、気軽に読める内容と分量。技術者としての悪い癖でさしたる必然性もなく数式(というほどのものでもないのだが)がちょっとだけ出てきて敬遠しがちであるが、いいたいことはごく単純なことなので、式は読み飛ばしてもいい。


[bk1で詳細を見る] [amazonで詳細を見る]

このエントリーは書評ポータル「本が好き!」から頂いた本の書評です。




本が好き!:私が「ヴィジュアル系」だった頃。



私が「ヴィジュアル系」だった頃。

市川 哲史
竹書房(2005)

[bk1で詳細を見る] [amazonで詳細を見る]








音楽に限らずであるが、人はアーティストをジャンル分けしたがる。アーティスト側としては甘んじて受け入れる人と、ジャンルという枠でひとくくりにされるのを嫌う人に分かれる。どちらかというと後者が多いだろう。ジャンル分けにはワンパターン、没オリジナリティといったネガティブな雰囲気も漂う。「ジャンルというのは聞く人が決めることであって、私としては特に自分の音楽はこのジャンルという意識はないです。」あたりが大人の回答であろうか。

しかし、「ヴィジュアル系」となると少々話が違ってくる。そう呼ぶなと明確に拒絶する人も多い。それはそうであろう。音楽的にどのジャンルであろうが音楽であることに変わりはない。しかし、「ヴィジュアル系」。そもそも音楽かんけーねーじゃん、みてくれだけかよ、という語感。音楽で勝負だ、という人にはなかなか受け入れられない言葉であろう。

そもそも定義がよくわからない。どうも化粧をして派手な服を着ているだけではだめらしい。古くはデビット・ボウイから、JAPAN、YMO、忌野清志郎、BOØWY、そしてバンドブームなる時代にポコポコ沸いて出た派手なグループとか。これってヴィジュアル系?

この本を読んだ結果、私の中での定義は 「ヴィジュアル系とは X の巻き起こしたムーブメント及びその余波」となった。BUCK-TICK はどうなんだ、COLOR はどうしてくれる、とか言われるかもしれないが、この本を読んだ限りではこうなる。たまたまなのか著者が意識してなのかはわからないが、正確ではなくとも誤りでもないであろう。この本の続編である「私もヴィジュアル系だったころ」の人選を見てもそういう雰囲気である。せっかくだから次回読もう。

基本的には対談集である。対談相手はちゃんと話ができるレベルのアーティスト及び編集者ばかりなので、対談とはいえ破綻することなく言いたいこと、あるいは著者が言わせたいことが伝わってくる。

最初は大槻ケンヂ。彼がヴィジュアル系の当事者なのか傍観者なのかは難しいところで、対談全編を通してこの話がネタとして出てくる。それはともかく、大槻ケンヂはやはり頭の回転が速く、弁が立つ。エッセイ、小説なども手がけるだけあって、口から出てくる言葉や展開も小気味よい。この業界ではデーモン小暮と双璧であろう。テレビですっかり文化人となっているのもさもありなんである。色物ヴィジュアル系、実は頭脳派文化人というところか。ROLLY もいれるべきか。

次が核心、X の YOSHIKI。いかにして音楽業界を切り裂いて自分たちの帝国を作っていったか。そして数々の破天荒なエピソードがちりばめられている。断片的に伝説は聞いていたが、本人の口から出た言葉として読むとなかなかのものである。しかし、この章に関しては著者がリードしてあんなこともあった、こんなこともあった、とぶつけてくるのに対して、「ああ、そうだねえ」と流している印象を受ける。過去のことは過去のことで興味がないのか、著者を信頼して展開をゆだねているのか。もちろん著者は YOSHIKI の起こしたムーブメントをリアルタイムで、しかもすぐ横から見ていたわけで、著者の総括に口を挟む必要はないのであろうが。

そして直系の子分 LUNA SEA の SUGIZO、注意深く避けて通ってきた PIERROT のキリトと続く。どちらの話も面白いし、自分の思いが詰まった言葉がストレートに出てくる。特に SUGIZO は可哀想だ。私ら外野は「河村隆一キモッ」とか言ってればよかったが、そうも言えず、てめーふざけんな光線を行間に漂わせつつ、御行儀良く対談に臨んでいる。いやあバンドというのはつくづく難しいものだ。

[bk1で詳細を見る] [amazonで詳細を見る]

このエントリーは書評ポータル「本が好き!」から頂いた本の書評です。




テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。