市川 哲史
竹書房(2005)
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音楽に限らずであるが、人はアーティストをジャンル分けしたがる。アーティスト側としては甘んじて受け入れる人と、ジャンルという枠でひとくくりにされるのを嫌う人に分かれる。どちらかというと後者が多いだろう。ジャンル分けにはワンパターン、没オリジナリティといったネガティブな雰囲気も漂う。「ジャンルというのは聞く人が決めることであって、私としては特に自分の音楽はこのジャンルという意識はないです。」あたりが大人の回答であろうか。
しかし、「ヴィジュアル系」となると少々話が違ってくる。そう呼ぶなと明確に拒絶する人も多い。それはそうであろう。音楽的にどのジャンルであろうが音楽であることに変わりはない。しかし、「ヴィジュアル系」。そもそも音楽かんけーねーじゃん、みてくれだけかよ、という語感。音楽で勝負だ、という人にはなかなか受け入れられない言葉であろう。
そもそも定義がよくわからない。どうも化粧をして派手な服を着ているだけではだめらしい。古くはデビット・ボウイから、JAPAN、YMO、忌野清志郎、BOØWY、そしてバンドブームなる時代にポコポコ沸いて出た派手なグループとか。これってヴィジュアル系?
この本を読んだ結果、私の中での定義は 「ヴィジュアル系とは X の巻き起こしたムーブメント及びその余波」となった。BUCK-TICK はどうなんだ、COLOR はどうしてくれる、とか言われるかもしれないが、この本を読んだ限りではこうなる。たまたまなのか著者が意識してなのかはわからないが、正確ではなくとも誤りでもないであろう。この本の続編である「私もヴィジュアル系だったころ」の人選を見てもそういう雰囲気である。せっかくだから次回読もう。
基本的には対談集である。対談相手はちゃんと話ができるレベルのアーティスト及び編集者ばかりなので、対談とはいえ破綻することなく言いたいこと、あるいは著者が言わせたいことが伝わってくる。
最初は大槻ケンヂ。彼がヴィジュアル系の当事者なのか傍観者なのかは難しいところで、対談全編を通してこの話がネタとして出てくる。それはともかく、大槻ケンヂはやはり頭の回転が速く、弁が立つ。エッセイ、小説なども手がけるだけあって、口から出てくる言葉や展開も小気味よい。この業界ではデーモン小暮と双璧であろう。テレビですっかり文化人となっているのもさもありなんである。色物ヴィジュアル系、実は頭脳派文化人というところか。ROLLY もいれるべきか。
次が核心、X の YOSHIKI。いかにして音楽業界を切り裂いて自分たちの帝国を作っていったか。そして数々の破天荒なエピソードがちりばめられている。断片的に伝説は聞いていたが、本人の口から出た言葉として読むとなかなかのものである。しかし、この章に関しては著者がリードしてあんなこともあった、こんなこともあった、とぶつけてくるのに対して、「ああ、そうだねえ」と流している印象を受ける。過去のことは過去のことで興味がないのか、著者を信頼して展開をゆだねているのか。もちろん著者は YOSHIKI の起こしたムーブメントをリアルタイムで、しかもすぐ横から見ていたわけで、著者の総括に口を挟む必要はないのであろうが。
そして直系の子分 LUNA SEA の SUGIZO、注意深く避けて通ってきた PIERROT のキリトと続く。どちらの話も面白いし、自分の思いが詰まった言葉がストレートに出てくる。特に SUGIZO は可哀想だ。私ら外野は「河村隆一キモッ」とか言ってればよかったが、そうも言えず、てめーふざけんな光線を行間に漂わせつつ、御行儀良く対談に臨んでいる。いやあバンドというのはつくづく難しいものだ。
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このエントリーは書評ポータル「本が好き!」から頂いた本の書評です。
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